こんにちは、軽トラです(^▽^)/
まもなく、父の日ですね👨
アナタのお父さん、あるいはお義父さんはどんな方ですか?ワタシの義父はとても個性が強い方でした。
今日は、同居していた義父についてお話したいなと思います☺
ぜひ、お読みいただけるとうれしいです✨
鍛冶屋(かじや)から運送屋へ
お義父さんとは、ワタシがヨメとして嫁いできて、亡くなるまでの7年間いっしょに過ごさせていただきました。
中学をでたばかりのお義父さんは、鍛冶屋 (かじや)さんに丁稚奉公(でっちぼうこう)に入り修行しました
何年か修行したあと、鍛冶職人はならなくて、運送屋さんに勤めるようになりました。
そして、荷物の営業所でお義母さんとめぐりあいました❤
鍛冶屋さんで修業をしてたおかげで、包丁のキレ味が悪くなると、お義父さんが上手に研(と)いでくれました。
研いだ後に切れ味を自分のゆびで試してたので、時々ばんそうこうのお世話になってました(こわっ)
勤めていた運送屋のご主人がご高齢でやめることになって、お義父さんに「あとをやらないか」と話があり引きつぐことになったそうです。
ちょうどバブルの真っただ中、めちゃめちゃ荷物があって大忙し、当時は従業員さんも数人雇っていたとのこと。
稼いで💰使いまくる💸
朝から晩までトラックで走り回っていたので、さぞかし疲れて休日はゴロゴロ寝ているかとおもいきや、とんでもございません。
休みになると飲み歩いていて、家にはいなかったそうです。
でも、ある時、飲み仲間に誘われてゴルフを始めました。すると今度はゴルフにハマりまして、ゴルフ三昧⛳
休日は飲み🍺+ゴルフで、育児👶👶👶は妻にまかせっきり💦
お義母さんは、腹いせにショッピング(お義母さんも負けてはいません🤣)
お義父さんがすごいのは、ハマり方が半端なくてシングルプレイヤーにまでなり、わが家には栄光のトロフィーがずらー―っと並んでます。
(シングルプレイヤーになるまでには、お金もシコタマ使ったようです💸)
こだわりが強い
荷物を運ぶ仕事なので、ふだんは動きやすい洋服を着ていますから、服装には無頓着かと思いきや、お義父さんはめちゃめちゃオシャレ✨
取引先の中に「テイラー 」がありまして、そこの店主の腕がよかったらしく、惚れこんで何着もオーダースーツを作っていました
そして、土曜日の仕事が終わると愛車ををピッカピカに洗い、日曜日にはお気に入りのスーツを着てゴルフへいくのがお決まりでした。
派手な色のシャツ+白いスラックス+白い革ぐつは、ちょっとヤバかった(怖い人にみえました💦)
ガンガン稼いで、バンバン使いまくった中で、一番大きな買い物はマイホーム🏠
お義父さんはこだわりが詰まった家を建てました。
広めの間取り、家具はカリモクでそろえ、一枚板のテーブルも置きました。
鍛冶屋のでっち奉公から始まって、運送屋をひきついでから、ゼロから自分の力だけでマイホーム建てたのは、スゴイなって思います(お義父さんりっぱ!)
お嬢さんをください
さて、あこがれのマイホームもできて、仕事もそこそこ順調でした。
子ども達も大きくなり、長男くん(ワタシの旦那)がいっしょに運送屋をやり始めました🚚
オクテ?だった長男くんにやきもきしていた両親でしたが、長男くんが「結婚を考えてるヒトがいる」と言い始めておおあわての両親
鉄は熱いうちに打てとばかり(さすが、もと鍛冶職人見習い)「はやいとこ、あいさつに行くぞ!」と、三人でワタシの家にいらっしゃいました。
さて、あいさつにいらして座敷に上がってもらうと、お義父さんの第一声
「お嬢さんをください!!!」
え?
ワタシも、ワタシの両親もビックリ
いや、そのセリフは長男くんから聞きたかった…
でもお義父さんらしかった?かな?🤣
ゴルフとカラオケの日々
ワタシがヨメに来た頃は、バブルがはじけた後で、次第に仕事が減っていきました(やばいやばい💦)
でも、なんだかんだ言って、ちゃっかりお義父さんのゴルフ三昧は続いてました。
飲みに行く回数と、オーダースーツは減りましたけどね😅
でも、飲みに行かないかわりに、レーザーディスクのカラオケを買って
毎晩のように夕食後はソファーに寝っ転がりながら気もちよーく歌ってました♫(いつもそのまま寝落ちしてました😅)
とつぜんの病
ガンガン肉体労働したうえで、休日は早朝からゴルフ三昧だった元気印のお義父さんが、体調がおかしいと言い始めました。
かかりつけ医で検査したところ、大きい病院を紹介されて入院することになりました。
遠方の大学病院に話を聴きに行ったりして手を尽くしたのですが、すでに年齢が66歳では治療できず、経過観察しているうちに悪化していき、発病から一年経たずに亡くなりました😢
脱走しちゃう&タバコがやめられない
闘病中のお義父さん、安静にしてないといけないから入院してるのに、しょっちゅう脱走してきました。
入院してるはずのお義父さんが、気づくと居間で新聞を読んでたりして家族はびっくりぎょうてん
まあ、そのころはまだ気力と体力があったのですね🍀
あとは、タバコがスキでやめられなかった。担当医から、禁煙するように言われましたがこっそり吸ってました🤫
だんだん症状がすすんできて「禁煙しないと死にますよ!」と強く言われたときには、さすがに吸うのをあきらめました。
食道楽
お義父さんは、食べることが大好きで、食にはこだわりがありました😋
ウナギは○○店、寿司は○○、スパゲッティは○○店、とお気に入りの店がありました
調理方法も、肉の焼き方などにうるさくて、ステーキの日は自分で焼かないと気が済まないので、ヨメのワタシは付け合わせ担当でした😅
あとは、お魚が大好物で、毎週木曜日はお刺身の日🐟
刺身を切るのはお義父さん(もちろん包丁は研いでから🔪)
いつも、食べ物にまつわるうんちくを語りながら、楽しそ~うに作ったり食べたりしてました✨
そんなお義父さんでしたので、入院中の病院食はいくら体のためとはいえ、味気なかったようです
亡くなる2週間前、「○○の寿司が食べたい」と言うので買ってきましたらペロリと平らげました😲
その時、大好きだったお酒もちょっとだけ飲みました(もう、この時にはお医者様も黙認されてたかな…)
お義父さんの遺言
お義父さんは、元気なころから「オレの通夜にはにぎり寿司をだしてくれ」と話していました
「同業者の仲間は忙しいから、通夜には仕事の合間をぬって時間を作ってきてくれるはず、だからオイシイ寿司を食べてもらいたい」と…
この辺りでは、通夜では助六寿司(巻きずし+いなりずし)をふるまうのが慣例で、にぎり寿司をだす習慣はありません。でも、お義父さんの希望通りにしました。
通夜に来てくださった同業者の皆さんは「うまい、うまい」と召し上がってくださいました✨
やりたいことをやりつくす
お義父さんの若い頃の写真をみてビックリ、めちゃめちゃイイ男❤
まるで俳優の勝新太郎(かつ しんたろう)さん✨ (若い方はご存じないかも?ググってみてください😆)
目つきが鋭くて、ちょっとヤンチャな感じのイケメン俳優😎いかつい風貌(ふうぼう)もそっくりでした
そして振り返ってみると、生きざまも勝新太郎さんに似てることにおどろきました
- こだわりが強い (衣食住あらゆること)
- やりたいことは、誰に何を言われようがやっちゃう
- 持論はまげない (しょっちゅうバトルもありました💦)
お義父さんは、発病してから一年経たずに67歳で亡くなりましたので、亡くなるにはまだ若かったと思います。
でも、生前のお義父さんを知る方々は「やりたいことをやりつくして亡くなったから、後悔はないんじゃないかな」って口をそろえておっしゃいます。
太く短く生きたお義父さん、カッコよかった✨
モチロン、もっと長生きしてやりたいことはあったかもしれないけど💦(孫たちの成長をみたいなぁって言ってたし😢)
7年ほどの短いお付き合いでしたが、お義父さんと過ごした日々は、強烈な思い出がたくさんあります😂
お義父さんほど自由奔放に生きるのは、ワタシにはムリかもですが、やりたいことは生きている今やりたいです✨
そして、お義父さんのこだわりたっぷりの家は、これからもちゃーんと大切に住まわせていただきますね☺
最後までお読みくださり、ありがとうございました☺