こんにちは、軽トラです(^▽^)/
アナタは、ご家族と一緒にお住まいですか?
核家族で、親子で暮らしていたり
大家族で、ひいおばあちゃんなんかも一緒に
ワイワイにぎやかに住んでいたり
単身赴任で一人暮らしされていたり
学生さんで、親元を離れていたり
子どもが巣立って、夫婦2人で暮らされてるかも?
人生の節目節目でいろいろかな~と。
今日は、生涯独身だった旦那の叔母さんの
ミーコちゃんのお話をさせていただきたいと思います。
ミーコちゃんがやってきた
ワタクシゴトですが…
自営業を営むおうちの長男のヨメになり5年目
ワタシのおなかには2人目がいて、臨月間近
そんな頃に我が家では、あるミッションが進められていました。
2000年2月、ミーコちゃんが、我が家の近所に引っ越してくることになりました。
ミーコちゃんとは、同居の義母の妹。
えーっと、つまり旦那の叔母さんですね。
ミーコちゃんは、引っ越すことが決まってから
「全然、いい物件見つからないなー」と文句言いながら、あちこち物色してました。
やっと、我が家から歩いて20分くらいの物件がお気に召して決まりとなり、2月27日大安吉日に引っ越していらっしゃいました。
若い頃のミーコちゃん❤
ワタシは、「ミーコさん」と呼んでいましたが
義父母はじめ、旦那、旦那の弟妹は
「ミーコちゃん」と親しみを込めて呼んでいました。
なぜなら…バブル絶頂期のころ、自営の運送業が大忙しで義父母は朝から晩まで働き詰めだったそうです。
そこで、白羽の矢がたったのはミーコちゃん
お義母さんの三歳年下で、シングル☆
子守役をミーコちゃんにお願いしてたそうです。
幼稚園や小学校の行事で、保護者の参加が必要な時にはミーコちゃんの出番☆
幼稚園の親子遠足もミーコちゃん。
小学校の授業参観もミーコちゃん
旦那たちにとって、第二の母みたいな存在。
いまだに、旦那や義弟妹は「ミーコちゃん、ミーコちゃん❤」と呼びます。
60代になったミーコちゃん
ミーコちゃんは 実家があった町の近くで長いこと一人暮らしをしていました。
60代になり、そろそろ1人暮らしは心配かも…というお年頃
我が家の近くに引っ越しておいたほうが安心だろうと、義父母の強いススメがあって引っ越ししてくることになったそうです
引越ししてきた頃のミーコちゃんは…派手なお洋服をきてて(ヒョウ柄とか)
派手なお化粧
タバコを吸ってて (^。^)y-.。o○
お酒が好きで、ダイエット大好き
なのに、ウナギが大好物。
体形はポッチャリで 自由気ままな生き方。
そんな感じ(ワタシの勝手な印象)
お義母さんよかったね
お義父さんは、ミーコちゃんの引っ越しの翌年に病気になり、翌々年に亡くなりました。
今思えば…ミーコちゃんの引っ越しをススメたお義父さん、ナイスタイミング。
お義父さんが他界して、お義母さんはさみしくなってしまいました…
そこに ミーコちゃんの存在があったことは、ありがたかった。
ミーコちゃんが近所にいたおかげで、お義母さんとおしゃべりしたりお出かけもできたので、
さみしさが、少しはまぎれたかもしれません。
姉妹で仲良く年をとっていましたが、
10年ほど経ちまして、お義母さんが病気をきっかけに要介護状態になりました。
そして、ほぼ同時期にミーコちゃんもあちこち弱ってきました。
そこまで仲良くなくても…
救急搬送されたよ
2013年11月17日、この日は日曜日。
ワタシが買い物から帰宅して、何気に携帯を見ましたらピカピカ光ってて、なにやら留守電が入ってる?
見慣れない携帯番号。
だれだろう? とにかく、再生してみました。
すると…
「もしもし!○○○○さんですか?(ワタシのこと)ワタクシは、消防隊員の○○と申します。
××××さん(ミーコちゃんのこと)を救急搬送しております。これから市民病院に搬送いたしますので、至急来てください!」
と、消防隊員の男性の声が録音されていまして、声のバックには
ピーポーピーポー ピーポーピーポー
と、音量マックスのサイレンの音
救急車の中からの電話。
ビックリ仰天!
日曜日で、幸い旦那がうちにいたので、すぐに二人で病院に駆けつけました。
そろそろ限界?
ミーコちゃんが引っ越してきたばかりのころは、お義母さんがバリバリの現役で車の運転もできたので
ミーコちゃんを車に乗せ、お墓参りやらお食事やらあちこちお出かけして、2人でなかよく過ごしていました。
でも、70代後半となったお義母さんが要介護状態に。
助けてもらえそうな旦那の弟や妹も結婚して遠方に住んでいましたので
あれ?ミーコちゃんをお世話できる身内って…
甥っ子の旦那だけ?
転んじゃった
実は、この救急搬送の二か月くらい前、ミーコちゃんは近くのスーパーへお買い物に行ったとき転倒。
捻挫して外科でシャーレを装着したので、しばらくは一人でのお出かけできなくなりました。
一人暮らしで家族がいませんから、ワタシが通院に付き添ったり、一緒に買い物をしたり。
その時以来、緊急用の連絡先としてワタシの携帯の番号を伝えてありました。
なので、ミーコちゃんが救急搬送されたとき、消防隊員さんはワタシの携帯にかけてきたというわけです。
それからのミーコちゃん
この後、ミーコちゃんは心臓の手術をしたり、入退院をくりかえしながらデイサービスや訪問介護のお世話になることに…
食べるものや日用品は、ワタシが買っていき、定期的な通院も、引率&立ち合い。
二年くらいはデイサービスのスタッフさんに助けられながら、なんとかひとりで賃貸に住んでいましたが、2018年の1月には、家の中のトイレに行くことができなくなってきて
ポータブルトイレも使いましたが、だんだんオムツの上げ下げなども怪しくなり
ヘルパーさんが、訪問介護に来てくださったときに、失敗したオムツやらパッドが部屋に散乱してることも。
デイサービスのスタッフさんから「1人暮らしはもう限界かも…」と、施設に入ることをすすめられました。
ケアハウスへ
ミーコちゃんは年金暮らし。
『施設に入っては?』といわれても、お金が足りませんでした。
それまでも、なんとかやりくりしながら介護サービスの利用を最低限にしていました。
どうしようか…と困りましたが
ケアマネさんから、『当面は姉妹施設のケアハウスに入居して、特養に空きが出たら引っ越すのはどうか?』と提案され
しばらくは 赤字覚悟でケアハウスに入居することになりました。
ところが…ケアハウス入居が決まったタイミングでミーコちゃんは調子が悪くなり入院することに。
あとから考えると、ミーコちゃんが入院中に旦那とワタシで賃貸アパートを引き払って、ケアハウスに荷物を引っ越しできたので、ふしぎなタイミングでの入院でした。
そして退院して、無事ケアハウスに入居。
入居者の方々とも少しずつ顔なじみになりかけたころミーコちゃんのお誕生月となり、お誕生日会もしていただきました。
そのころ ミーコちゃんは食欲がなくなってきて
ある日、ケアハウスの看護師さんから「痰(たん)がからんで苦しそう」との連絡。
夜間の救急外来に連れて行ったところ、誤嚥性肺炎(ごえんせいはいえん)になっていて再入院。
ケアハウスでお誕生日会はしていただきましたが、本当のお誕生日は病院で迎えました。
お誕生日当日に面会に行き「ミーコちゃん、80歳だね! お誕生日おめでとう!」と声をかけましたが返事はなくて…
しんどそうなミーコちゃん。
「あつい…」と言うので、氷枕を看護師さんにお願いして ワタシは帰宅しました…
その翌日に危篤(きとく)となり、ミーコちゃんは帰らぬ人に。
おひとりさま
生涯独身をつらぬいたミーコちゃん
足が弱ってきたころ、家賃を銀行に振り込みに行けないからと通帳を渡されて振り込みを頼まれました。
そこで、初めてミーコちゃんの年金額や生活資金の流れを知ることに。
それ以来ミーコちゃんのお金のやりくりをさせていただきました。
ホントにぎりぎりで、年金が入っては出ていくミニマリストのような生活。
ケアハウスに入ると決まったとき、小さいころからお世話になっていた旦那は、不足分を援助する覚悟でいたようです。
でも、結局びっくりするくらい残高ゼロの状態で亡くなりました。
すごいのは、最後の年金が振り込まれて、ケアハウスに支払いをしてちょうどピッタリ。
このミーコちゃんの最期は ある意味ミラクルでした。
何にも持たずに オギャアと産まれてから
おひとりさまで80年生きて、余分なモノは残さずにまたゼロの状態で亡くなる。
ワタシが関わらせてもらったのは20年くらいでしたが、ミーコちゃんにこんな生き方もあるんだよって近くで見せていただきました。
立つ鳥跡を濁さず
命日には、キレイなお花をお供えしてミーコちゃんを思い出しますよ。
最後までお読みくださり、ありがとうございました☆
ミーコちゃんの年忌には、永代供養をお願いしているお寺さんにお花を届けてます。
ミーコちゃん喜んでくれるとイイナ。
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